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Pennyの原型も出てくる70年代のスケートを知ればもっとPennyが楽しくなる!~ドッグタウンとZ-BOYS~

2014/05/01

Pennyのその見た目はビジュアル70年代のスケートボードからきています。

Pennyの基になった70年代のスケートボード

Pennyのとんがったノーズのコンパクトなデッキに大きめのソフトウィールというその見た目は70年代のスケートボードのビジュアルからきています。

70penny

スケートボードでいう70年代という時代は、それまでとは全く違うスタイルが誕生し、まさに現代の確立されたスケートカルチャーが産声をあげた時といえます。

そして、そのすべての始まりは、アメリカの「ドッグタウン」という街に住む10数人のスケーターの少年少女たちから起こりました。

zboys70s

今回はそんな70年代のスケートについて解説していきます。

当時のスタイルを知れば、もっとPennyが楽しくなること間違いなし!

現代のユースカルチャーが次々と生まれた街

ドッグタウン

ドッグタウン

貧困と犯罪が溢れ、不良が集まる見捨てられた街

DOGTOWN(ドッグタウン)とはアメリカ合衆国・カリフォルニア州サンタ・モニカの海岸地区の南隣を呼ぶときの通称です。

70年代のサンタ・モニカは「あらゆる漂流物が海に流れ出す場所」とも言われ、街並みは荒れ、貧困と犯罪の溢れる街でした。

その中でもドッグタウンはほとんど廃墟と化しており、 不良達がサーフィンすることで有名になった見捨てられたビーチでした。

廃墟の中にあるビーチには、若いエネルギーが溢れていた

ドッグタウン

この地に集まったジャンキー、サーファー、アーティストは地域一帯に漂う独特のローカリズムが醸し出す緊張感によって、ストリートを生き抜く為のセンスとスタイルに磨きをかけていました。

ドッグタウンはカスタムカー、グラフィティ、ストリート・ギャング、そしてサーフボードのデザインの中心地となっていった場所でもあります。

伝説のゼファーサーフショップとZ-BOYS

ゼファーサーフショップ

ゼファーサーフショップ

Z-BOYSを生み出した伝説のサーフショップ

サンタ・モニカには「ジェフ・ホウ」、「スキップ・イングロム」、そして「クレッグ・ステシック」らが共同経営する伝説のサーフィンショップ、ZEPHYR(ゼファー)サーフショップがありました。

そして彼らは店を溜まり場にしていたティーンエイジャーを集めてスケートチームを結成しました。

それがゼファー・スケー ティング・チーム、通称Z-BOYS(ジーボーイズ)です。

Z-BOYS

Z-BOYS

サーフィンとスケートに打ち込む人種も年齢もバラバラなメンバー

Z-BOYSは人種も年齢もバラバラ、貧困で崩壊寸前の家庭を抜け出して、心の隙間を埋めるように日々サーフィンとスケートに打ち込むティーンエイジャー達で構成されていていました。

1人の女性も含む10数人のメンバーでした。

zephyr

上の写真はZ-BOYSメンバーが揃う貴重な写真。

左上から、「ショウゴ・クボ」、「ボブ・ビニアック」、「ネイサン・プラット」、「ステイシー・ペラルタ」、「ジム・ミュアー」、「アレン・サーロ」、「クリス・ケイヒル」、「トニー・アルヴァ」、左下から、「ウェンツル・ラムル」、「ペギー・オキ」、「ジェイ・アダムズ」、「ポール・コンスタンティノウ」。

サーフィンの動きを表現したスケートスタイル

サーフィンの動きを表現したスケートスタイル

Z-BOYSはこれまでのスケートボードとは全く違うスタイルの滑りをします。

60年代のスケートボードは現在のアイススケートでいうところのフィギュアスケートのような存在で、逆立ちやウィリー等が中心の平面的でおとなしいスタイルでした。

しかしZ-BOYSのスケートは、激しいポンピングやスライドターンなどサーフィンの動きを表現したスタイルをとります。

これまでとスタイルとは正反対の即興的でスタイリッシュ、かつ危険的で攻撃的ものでした。

プールスケーティングを生み出す

この頃、カリフォルニアは水不足の為に庭のプールを空にしている家がたくさんありました。

彼らは留守中の他人の庭に忍び込み、プールに溜まった泥水や落ち葉を清掃して、現在のボウルやヴァート・ランプの原型となるプール・スケーティングを始めます。

水のないプールで立体的に滑るという型破りな新しいスケートのカタチを次々に生み出していきました。

突如として乗り込んだ大会で衝撃的なデビュー

突如として乗り込んだ大会で衝撃的なデビュー

75年、Z-BOYSは、当時大きなスケートコンテストだったベイン・キャデラック・スケートボード・チャンピオンシップ(通称「デル・マー・ナショナルズ」)に突如として登場します。

60年代の滑り方を引きずっていた他の出場者達にとって、彼らのスタイルは全く予想していなかったまさに、突然爆発を受けたような衝撃的なものでした。

Z-BOYSはその場にいた観客を大いに沸かせ魅了した彼らは、飛び入り参加にもかかわらずその大会の賞をかっさらっていきました。

その革新的なスタイルは、まさに、当時のスケートボード界に不意打ちを食らわせます。

横暴で喧嘩っ早く、危険な雰囲気を持ちながらも、圧倒的な技術とクールで大胆なスケーティングをするZ-BOYSは大きなカリスマ性を放ち、瞬く間に若者の人気を集めます

彼らの人気にスケートボード界は支配され、彼らのスタイルを中心として回り始めます。

Z-BOYSを語る上で欠かせない3人のスケーター

Z-BOYSの3人のトップスケーター

Z-BOYSの中でも実力が突出していた3人のスケーター、「ジェイ・アダムズ」、「トニー・アルヴァ」、「ステイシー・ペラルタ」はスポンサーが付きプロのスケーターへなります。

彼らは世界中から人気を集め、スケーター界のロックスターのような存在となりました。

トニー・アルヴァ

トニー・アルヴァ

高い身体能力を活かしたパワーとスピード溢れるスケーター

トニー・アルヴァ(Lords of Dogtown)は、その強烈なオリジナルスタイルから「スケート界のチャック・ベリー」と呼ばれています。

57年に生まれ、サンタ・モニカのビーチ沿いの家で育ち、5歳のときにスケートを始めます。

アルヴァは常にハードコアなスケーターで、彼の滑りは高い身体能力をフルに生かしたパワーとスピードが特徴のスタイルでした。

彼はバート・スケートのスタイルの産みの親だと考えられており、スケートボード1本で生計を立てた最初のスケーターでもあります。

ちょうどハリウッドがスケートに興味を持ち出した時、アルヴァは「Skateboard」「Thrashin’」の映画にも出演しています。

その後、自身の名前を使ったブランドを立ち上げ、成功を収めた最初のスケーターでもあります。

現在も最先端の流行を発信するカリフォルニア州オーシャンサイドのアルヴァ・スケートボード・カンパニーを経営しています。

ジェイ・アダムズ

ジェイ・アダムズ

無鉄砲で攻撃的、リスクを恐れない過激なスタイルのスケーター

ジェイ・アダムズ(jay adams)は75年のデル・マー・ナショナルズに出場した最初のZ-BOYSであり、彼がスケートボードの世界に残した功績は多大なものです。

61年にサンタ・モニカで生まれたアダムズは、5歳の頃からサーフィンとスケートボードを始めす。

ロングヘアにハットが特徴だった彼のスケーティングは無鉄砲な攻撃的、その激しいスタイルは誰もが魅了されるものでした。

またプールでの危険な空中技に最初に挑戦したスケーターとしても名高いです。

巨大なリスクを恐れることなく、大怪我にも繋がりかねない危険な場所での滑りは、その後のストリートスケートの可能性を大きく広げました。

アダムズは若干10代の前半のうちに数々の賞を取り世界中にファンを作ります。

しかしながら、彼はドッグタウンメンバーのなかでも最も不運な犠牲者でもありました。

若くして成功した者に付きまとう悪への誘惑に身をゆだねてしまい、ハワイで数件の麻薬関連の違反で逮捕、服役することになります。

現在は出所し、メディアにも復活、子供と充実した生活を過ごしています。

ステイシー・ペラルタ

ステイシー・ペラルタ

スタイリッシュでクール、圧倒的なテクニックを持つスケーター

ステイシー・ペラルタStacy Peralta)は、カリフォルニア州ベニスビーチ生まれ、11歳の頃から幼馴染のトニー・アルバやジェイ・アダムズらとサーフィンとスケートボードを始めます。

デル・マー・ナショナルズに初参加したときは、ステイシーの成績はあまり奮いませんでした。

しかし、その後8ヶ月間の特訓の結果、フリースタイル世界大会で個人3位に入賞を果たします。

気性の激しいメンバーが揃うZ-BOYSの中でも比較的穏やかな性格で、アルバやジェイのような攻撃的なスケーティングスタイルではありませんでしたが、細かいテクニックは圧倒的な技術を持っていました。

当時最大手のスポンサーが付き、19歳でプロランキング1位とスケートでの成功の道を歩みます。

1978年、自身のブランド、パウエルを立ち上げ、トニーホークやスティーブキャバレロ、トミー・ゲレロといったメンバーが揃うボーンズ・ブリゲードを立ち上げます。

パウエルはスケートビデオによるマーケティングを行うなど、スケート界のありかたを次々と革新した経営でトップブランドに成り上がりました。

その後、映画監督の道を開拓し、「ロードオブドッグタウン」をはじめ数多くの作品を残しています。

Z-BOYSからそれぞれの道へ

彼等の名声が高まると同時に、チームとしてのZ-BOYSも終焉へと向かいます。

Z-BOYSのメンバーはそれぞれ価値観に基づいたスケートボードのキャリアを求めて旅立ち、チームは解散を迎えます。

その後、それぞれに波乱万丈のある人生を歩む3人ですが現在は再び交流を再開しています。

現在の様子

ジーボーイズ

一番左がジェイ・アダムズ、隣がトニー・アルバ、右端がステイシー・ペラルタです。

ジーボーイズ

その他のZ-BOYSメンバーの様子。

Z-BOYSが残した功績

エアーランディング生みの親

エアー

今のボード競技に空中技が加わったのも彼らの功績

あれから25年、今やスケート・スノーボードでは、当たり前のセクションを使ったエアーランや競技。

しかしすべての始まりは、Z-BOYSによる空のプールで滑るという思い付きでした。

現代スケート&ユースカルチャーのさきがけ

サブカルチャー

彼らの無骨でハードなスケートボードスタイルはファッション、映像、音楽、アートをも巻き込み、まさに現在のサブカルチャーの存在に大きな影響を与えました。

これらは、まさしくZ-BOYSたちが生み出し創り上げたものです。

彼らがロックスターのように活躍していた時、それは全く新しいストリートカルチャーが産声を上げた瞬間でした。

ペラルタが脚本として当時を完全再現した映画「Lords of Dogtown(ロードオブドッグタウン)」

幸運なことに、75年のデビューまでのZ-BOYS達の姿は、クレッグ・ステシックとグレンE.フリードマンによって、写真と映像で記録に残されていました。

その貴重な映像をもとに、ステイシー・ペラルタが脚本を書き当時の様子をリアルに再現した映画があります。

その映画は「Lords of Dogtown(ロードオブドッグタウン)」です。

当時の町並み、スケートボード、ファッション、髪型すべてを細かく再現しています。

主役はペラルタ、アダムズ、アルヴァの3人で、姿のよく似た俳優を起用し、その見た目や性格・スケートスタイルまで非常に忠実に再現した映画です。

ロードオブドッグタウン

「ロードオブドッグタウン」についての映像や詳しい解説は次のリンクからどうぞ。

映画「ロードオブドッグタウン」についての詳しい解説はこちらのページへ↓

Pennyペニーはここから生まれた~70年代のスケートをリアルに再現した映画~

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